バナナの選択
                バナナは、生きるために、子孫繁栄の選択権さえも人類にゆだねたんだ。 一生懸命に生きるって?                 生きる、ということにおいて、僕たちの決意なんて、 バナナの勇気の百分の一にも及ばないよ。         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No. 170422 そして、かなしい。

 小三の夏。僕はある犯罪をおかした。学校の備品を破壊して盗んだのである。共犯者は、T君。T君は、貧しい家の子だった。着ている服も薄汚れてすりきれて、彼自身も垢じみていて、彼に近づくといやな臭いがした。勉強もできなかった。だから、クラスのみんなはT君を嫌った。けれどもどういうわけか、僕とは仲が良かった。放課後はいつもT君と遊んだ。

 その日。僕とT君とは、放課後の校内をあちこち冒険していた。校舎の床下にもぐりこんだり、理科室の不気味な標本をのぞいたり。そうしてようやく遊び疲れて、ランドセルを背負って帰ろうとしたときである。僕はふと、理科室前に展示してある岩石標本に目をやった。そこには、人の頭ほどの大きさのいろいろな岩石の標本が、コンクリートの土台に接着されて並べてある。そのずらりと並んだ黒や灰色の岩石の列の中に、ひとつだけ、真っ白に輝く大理石の標本があった。僕は、その美しさに、はっとした。なんてきれいな石だろう、と思った。僕は大理石にくっつくほど目を近づけて、そのきらきらと光る粒子を見つめ、大理石の肌に手をあてて、その冷たさをじっと感じた。そういう僕の様子を見ていたT君が、「〇〇ちゃん(僕の名)、それ、ほしい?」と言った。「うん。ほしい」と僕は言った。ほしい、と言ったところで、僕のものになるわけがないけれど。と、思っていたら、T君は、「じゃあ、ちょっと待ってろ」と言ってどこかに走っていくと、しばらくして、両手でやっと持てるくらいの石をかかえて戻ってきた。そうして、「これで割ろう」と言った。僕は動転した。学校の展示標本なのである。割ったりしたら、どれほどの騒ぎになるか知れない。僕は「だめだめ。怒られるよ」と言った。が、T君は、僕のそんな言葉など聞いていない。クラスでただひとりの仲の良い友だちである僕のためなら、そういう僕が「ほしい」と言ったものを僕に与えてやるためならば、何だってやる。と、石をかかえて真っ赤になったT君の顔は、そう言っていた。僕はもう、T君を止めなかった。大理石がほしかったのである。T君は、渾身の力で石を持ち上げると、大理石の上に投げ落とした。ガッという音がして、石が大理石にはじかれ、大理石の白い粉が煙のように散った。失敗である。「もう一回じゃ」とT君が言った。「うん。もう一回!」と僕はT君を叱咤した。T君はふたたび、真っ赤な顔をして石を持ち上げると、勢いをつけて大理石に向けて投げ落とした。再び、ガッと音がして、大理石のかけらが飛んだ。僕は急いで、その長さ5センチほどのかけらを拾った。かけらの新たに割れた断面は、今はじめて空気にさらされて、けがれのない純潔さで真っ白にきらきらと輝いていた。僕は恍惚となった。僕のものだ。このきれいな石が僕のものになった!と、その時。「こら!何をしとるか。見てたぞ。」という理科の先生の怒鳴り声が聞こえた。

 僕とT君とは、職員室に連れて行かれた。クラス担任の若い女教師が、「何をやってたの!」とヒステリックに叫んだ。「学校のものを壊していいと思ってるの!」などと女教師は狂ったような高い声でわめきちらす。けれども、大理石のかけらは、僕の手提げ袋の底にかくしてある。見つかる心配はない。あとは、女子をヒイキしてばかりのこのバカな女教師があきらめるまで、黙りとおせばいい。T君もそのことは分かっていたらしい。だから、ふたりとも、黙っていた。ひとことも話さなかった。ついに女教師はしびれを切らして、僕とT君の頬を、平手でひっぱたいた。「何をやってたの!」それでも、ひとことも話さない。「何をやってたのか、言いなさい!」また、平手でひっぱたく。何も言わない。大理石が美しかったから。と、こんなバカな女に説明したところで、何もわかってはくれないだろう。いくらでも、たたけ。いたくないぞ。こわくもないぞ。おまえなんかには、何も言わない。

 僕とT君とは、ついにひとことも話さず、職員室から解放された。ふたりして、女教師の悪口を言いながら、いっしょに帰った。帰り道、ちょうどS川にかかる橋の上で、T君が、「あれ、見せて」と言った。「うん。いいよ」と言って、僕は、手提げ袋の底から、大理石のかけらを取り出した。その時である。あれ?と思った。これだっけ?こんな石ころだっけ?と。僕は、半信半疑な思いで、そのかけらをT君に渡した。T君は、「へえ。ふうん。きれいだね」と言って、かけらを僕に返した。僕はかけらを受け取ると、あらためてしげしげとそれを見た。べつにどうということもない白っぽいだけの石ころにすぎない。これが、大理石?もっと、きらきらしてたじゃないか。もっと、きれいだったじゃないか。なんだ、これは。こんなの、ただの石ころじゃないか。僕がほしかったのは、こんなものじゃない。なんだ、こんなもの。こんなもの、いらない!僕はいきなり、そのかけらを橋の上から川に投げ捨ててしまった。「あっ」と、T君が声をあげた。T君は、「もう、いらないの?」とふしぎそうに言った。僕は、「うん。いらない」とだけ答えた。

 それ以来。ほしくてたまらないと思っていた宝物をようやくこの手につかみとったと思って、手の中のものを見ると、べつになんでもない、どうでもいいものだった、ということを幾度、くりかえしてきただろう。さんざん苦労して、周りの人たちにまでくるしみを押しつけて、そのあげく、どうでもいいものを手にするだけで、本当にほしかったはずのものは何も手に残っていない。この徒労感。ため息。やり場のない怒り。こみあげてくる自嘲の笑い。そして、かなしい。ただ、かなしいんだ。