バナナの選択
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                バナナは、生きるために、子孫繁栄の選択権さえも人類にゆだねたんだ。 一生懸命に生きるって?                 生きる、ということにおいて、僕たちの決意なんて、 バナナの勇気の百分の一にも及ばないよ。         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No. 170402 ちがう。こんなことじゃない。

 目の前の女ともだちが、おしゃべりをつづける。僕はビールを飲む。料理をちょいちょいとつまむ。そうして、へえ、そうなんだ、などと相づちを打ってはいるが、女の子のおしゃべりはろくに聞いていない。ビールも何回かおかわりしたが、ちっとも酔わない。それなりの値段のするコース料理もたいしておいしいとも思わない。まるでべつのことを考えている。

 その日、僕の部下である女性とケンカをしたのだ。僕の無神経な言動が、そのひとのこころを傷つけた。そうしてケンカになってしまった。口もきいてもらえない状態になってしまった。仕事どころではない。僕は、このひとの優れた能力と一流の資質にほれこんでいた。そうして、たとえ大きなお世話であろうとも僕は、僕のちからのおよぶ限り、このひとの才能を育ててやりたかった。せっかく一流の才能を持ちながら、それを自覚することなく、またそれを磨く機会に出会うこともなく、三流の生き方に流されて満足している女を見るほどつらいことはない。親であれば泣くであろう。友人であれば忠告するであろう。けれどもそもそも赤の他人にすぎない僕は、何の権利もないまま、あたかも彼女の親であり友人であるかのように、大きなお世話をやき、そのせいでかえって彼女をくるしめ、傷つけた。そしていよいよケンカになった。その日いちにち、そのことしか考えていなかった。たまたまその日は、若いガールフレンドと食事をする約束をしていた。彼女とは和解できないまま職場をあとにして店に向かった。

 女ともだちが僕を見つけて手を振って笑う。やあ、と言って僕も微笑む。けれども頭の中はケンカのことでいっぱいだ。どう謝ればいいのか。いやそもそも謝ってすむことなのか。こんなにたいせつに思っていることが、どうしてわかってもらえないのか。いやそういう考えこそが間違っているのだ。などと、無数の自問自答が猛スピードで旋回する。「もう。いま、あたしの話、聞いてた?」と、女ともだちが怒ったように言う。「聞いてるよ。そりゃ、たいへんだったね」とあわてて答える。ぜんぜん聞いてなかったのである。職場の課長にデートに誘われて困っちゃった、みたいな話をしていたと思ってそう答えたのだが、実際には、職場の部長にお昼ごはんにつきあわされて気分が悪かった、という話をしていたらしい。べつにたいした差はない。いずれにせよ、僕にとってはどうでもいいくだらない話である。若いガールフレンドは、神戸牛ヒレ肉のなんとか風なんとか焼き、みたいな一品をほおばり、「これ、おいしい!」と喜んでいる。そりゃそうだろう。ハンパな値段じゃないんだから。などと、つまらないことを考える。おいしいにきまっている高価な料理を食べて、おいしいと喜ぶ。べつに味覚を喜んでいるのではない。高級レストランで男の金で食事している自分が高級になった気になって喜んでいるにすぎない。「デートでマックとか、あり得ないし」などと言って、ややこしい名前のカクテルなど飲んでいる。若い頃、当時の恋人とマックに行くことが楽しみだった僕は、そうだね、と苦笑するしかない。ちっとも楽しくない。けれどもいつもなら、僕も女ともだちといっしょになって料理をほめて、酒に酔ってへらへら笑っていたであろう。けれどもこの日は、さすがにそんな気分にはなれなかった。ちっとも楽しくないのだ。ちがう。僕の求めていることは、こんなことじゃない。僕とはまったく違う世界で生きている女と飲み食いして、くだらない会話をして、ベタベタいちゃついても、何の意味もない。僕は、一流の女を見ていたい。一流の女が自らの光でかがやく姿を見たいのだ。この世でもっとも美しいものとは、気高いプライドをそなえた女のかがやきのことだ。ピグマリオンが自ら刻んだガラテアをみつめたように。あるいはプールナが自ら磨いたチューラナンダにいのちを捧げたように。ピグマリオンの思いは女神アフロディーテの憐れむところとなって成就した。が、プールナの願いはヤマ神の怒りにふれてチューラナンダともども一塊の石に帰した。しょせん僕の求める願いもまた、プールナ同様、みずからすすんで無限奈落に落ちるだけにきまっている。それもわかっている。なぜなら僕には、何の権利もないから。無権利者に座るべき席はない。美しい舞台をのぞき見することさえも許されない。それがこの世界のルールだ。

 若いガールフレンドと地下鉄で別れて、終電間際の電車に乗る。ふたたび頭の中で自問自答が繰り返される。明日、どういう顔で彼女に会えばいいのだろう。まだ怒っているだろうか。あたりまえだ。怒っているにきまってる。欠勤するかも知れない。僕の下で働きたくない、ということになるかも知れない。しかしそのときは上司として、彼女の希望する部署に異動できるように努力すべきだろう。いやちがう。それは、うそだ。彼女をうしなうわけにはいかない・・・と、自問自答の旋回はスピードを増すばかりだ。そしてその旋回はいまもなお、おさまる気配はない。