バナナの選択
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                バナナは、生きるために、子孫繁栄の選択権さえも人類にゆだねたんだ。 一生懸命に生きるって?                 生きる、ということにおいて、僕たちの決意なんて、 バナナの勇気の百分の一にも及ばないよ。         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No. 170318 そのおもかげを追って。

 パソコン画面に表示されたKの姿は、十五年前と少しも変わっていなかった。ミッキーマウスとともに、ピースサインをしている。このひとは、年をとらないのだろうか。そのSNSに一枚だけアップされていたKの写真を、僕は当惑して見つめた。

 Kは、美少女であった。としか言いようがない。ほかに形容のしようがない。といっても、実際の年齢は当時、すでに二十代半ばであったろう。東大大学院の教室で、彼女をはじめて見た。あまりひとづきあいが得意でないらしく、いつもうつむきかげんで、ひとりでいることが多く、クラスメートのくだらない冗談にも声を出して笑うということはなくにっこりと微笑む程度であった。コンパだの懇親会だのといった酒の席にはただの一度も参加することがなかった。クラスの馬鹿な男どもがしつこく参加を求めても、彼女は困った顔をして「考えとく」とだけ言って欠席した。授業態度も極めてまじめで、遅刻も欠席もなく、予習も事前課題も万全で、教授の質問にもすらすらと回答した。遅刻、欠席はあたりまえで予習もろくにせず、教授の質問にいつも冷や汗をかいていた僕などとはまことに比べようのない才媛であった。僕は彼女を見るたびに、なんてかわいい頭のいい子なんだろう。と思っていたが、と言って彼女と何らの接点もなかったから、せいぜい教室で朝のあいさつをするくらいで日々は過ぎた。

 Kをはじめて見てからすでに一年が過ぎたころであった。僕が法学部付属図書館の書庫で論文雑誌を探していたところ、たまたまKが同じ書棚で専門書を探していた。見れば、あるべき本がどうしても見つからないといった感じでノートと書棚を何度も見比べている。書庫の空調が悪いのか、書庫の中はむやみに暑かった。Kは首筋に汗のしずくを光らせながら困った顔をして本棚を見つめている。僕はKが気のどくになって、「Kちゃん。どうしたの」と言った。するとKは、はずかしそうに微笑んで「本が見つからない」と小さな声で言った。「見せてみろ」と言って僕は、Kからノートを受け取った。ノートには参考文献名とその書架番号がメモしてあった。なるほど、この書棚にあるはずだ。僕は汗みずくになって書棚の隅から隅まで探したが、見つからない。「ないぞ。Kちゃん」と僕が言うと、Kは、「うん」とうなずき、「本がないと、レポートが間に合わない」と残念そうに言った。僕は汗をぬぐいながらKにノートを返すと、「Kちゃん。この本なら、総合図書館にもあるはずだ。探しに行こう」と言って、あきらめ顔のKを総合図書館に連れて行った。総合図書館に入り、正面の赤絨毯の大階段をふたりで登ると、書架の傍らに設置された検索端末で書名を検索する。検索画面を見ていたKが、「あった!」と声をあげて、うれしそうに笑った。「ほら。あっただろ」「うん。あった」ふたりで書架に向かう。「〇〇さん(僕の名)。時間とってごめんなさい」とKが言った。「ぜんぜんかまわない。僕は、Kちゃんのファンクラブに入ってるからね」と僕が言うと、「うそ。そんなのないです」と笑う。「あるよ。ほんとうにKちゃんのファンは何人もいるよ。ただし、ファンクラブ会長は僕だけどね」と僕がまじめな顔で言うと、「ほら、やっぱり。ファンクラブって、どうせ〇〇さんだけでしょ?」とまた笑う。実際、Kのファンはクラスに大勢いたのである。けれども彼女の気高さが、馬鹿どもに気安く話しかけることをためらわせていたのだ。Kとふたりで書棚を探すと、目あての本は一冊だけあった。すると、Kが本を手にして、「一冊しかないのに、この本を私が借りたら、私と同じテーマのレポートを書く人が困るよね」と言う。「同じテーマの人がいるのか」「ううん。わかんない。でも、同じ授業を受けてるんだから、同じテーマになっちゃう人がいるかも」「じゃ、どうするんだ」「ぜんぶ、コピーしようかな」「本一冊を?」「うん」「いや。いいんだよ。そんなことしなくていい。君が借りていいんだ。君が見つけたんだから」僕はそう言って、借りるのをためらうKに、なかば無理やりに借りさせた。Kのこころの優しさに驚きながら。図書館を出ると日が落ちていた。僕は煙草を吸いたくなって図書館入り口の喫煙所に向かいながら「じゃ、レポートがんばって」とKに言った。Kは「ありがとう」と言ってにっこり笑うと、ぺこりとおじぎをして赤門に向かって歩いて行った。

 図書館のことがあってから、僕とKとの間になんとなく共通の接点のようなものができた。といって、べつにふたりの関係が何か大きく変わったというわけではない。これまでどおり、せいぜい朝のあいさつをする程度の関係であることに変わりはない。ただ、ふっと目があったときなどには、Kがおかしそうに微笑み、僕ははずかしくなって目をそらした。そういう、かすかな感情の交流が生まれたことが、変化と言えば変化であった。その後も数回、図書館で一緒に調べものをすることがあった。論文と授業のノートを見比べながら、理論的問題をふたりで議論する。と言っても、優秀な学生であるKと不勉強の僕とでは、対等な議論にはならない。結局、僕がKに問題点を解説してもらうというかたちになってしまう。Kにとっては何のメリットもない作業であったはずだけれど、僕のつまらない意見にもKはまじめにつきあってくれた。そうこうして勉強に追われながら季節は過ぎ、大学院の課程修了となった。修了式を最後に、Kとは会っていない。

 思えば、それ以来、僕はつねにKのおもかげを追ってきた。Kに顔が似ている。Kに声が似ている。Kに頭の良さが似ている。Kにこころの優しさが似ている。Kにしぐさが似ている。Kに名前が似ている。等々、Kに似ているひとを探し求めてきた。けれども現実に出会うひとたちは、所詮Kに、ほんの一部が似ているだけであった。すべてみな、不完全であった。にせものであった。見た目だけはKのように美しく、性的な潔癖さを気取っていても、合コンに招かれると大喜びで初対面の男どもに鼻をひくつかせ、じゃれつき、だらしなく酔ってゲラゲラ笑っている発情した動物なみの女たち。Kのような優れた頭脳と経歴を持ちながらも、自己肯定のための浅薄なプライドとエリート意識ばかりを磨き、とがらせているだけで、人生と懸命に戦って負けてしまったひとびとへの優しさも共感も持たない女たち。そういう女たちに僕は何度失望させられたことだろう。にせものの女がほんものの女のふりをして、愛だの人生だのを得意顔で語るのを聞かされる以上の苦痛はこの世にあるまい。彼女たちは性欲の掃き溜めに過ぎない合コンのテーブルの下から愛を見つけようとし、男の年収と肩書に自分の人生の価値を見つけようとする。ごみ溜めを漁って宝石を探すようなものである。ごみ溜めにはプラスチックのおもちゃの指輪はあっても、ほんものの宝石など落ちてはいない。プラスチックの指輪をみつけて、ほんものの愛を見つけた!とみなに見せびらかす姿は滑稽を通り越して悲惨でありもはや嫌悪しか感じない。そんなにせものに過ぎない女たちが、安っぽい虚飾をまとって、どれだけ一流の女のふりをしようとも、そのきたならしい本性が僕にははじめから見えてしまう。なぜなら僕は、すべての美徳を兼ね備えたKを知っているから。いっさいの虚飾なしに、みずからの光だけで輝くほんものの女の気高さと美しさを知っているから。そういうKに代わる女をこの世界でいくら探しても、K以外にいるはずがなかった。

 そのKが、パソコン上の画像となっていま、再び僕の目の前にいた。十五年前と変わらぬ姿で。が、当時と違うことがひとつだけあった。ミッキーマウスと並んでいるKを撮影しているのは、Kの新婚の夫だったのである。新婚旅行先のアメリカでの記念の一枚なのだ。SNSにアップされたその記念写真を、僕はたまたま見たのである。Kが結婚した。という事実は、僕にとって、僕の偶像となっていた女神が人間の女に姿を変えて天から地に堕ちたことを意味した。けれども、女神を突然失ってしまった僕は、ふしぎと、くるしくはなかったのである。なぜなら、これでようやく僕は、女神の完全性という鎖から解放されるから。この世界に満ちる不完全なふつうのひとびとの醜さにいちいち失望しなくてもすむから。そう。僕にもわかっているのだ。Kという偶像は、僕がつくりあげたフィクションに過ぎないということを。その偶像がいま、目の前で地に堕ちた。これでようやく僕は、この世界の醜さをあきらめることができるだろう。なぜなら、あのKでさえ、不完全な人間の女に過ぎなかったのだから! 僕はいま、Kの人間の女としての幸福を祈るばかりだ。もっとも、自称、元ファンクラブ会長にすぎない僕などが祈るまでもなく、画像の中のKは、ミッキーマウスのとなりで、その幸福を全身で表現しているけれど。