バナナの選択
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                バナナは、生きるために、子孫繁栄の選択権さえも人類にゆだねたんだ。 一生懸命に生きるって?                 生きる、ということにおいて、僕たちの決意なんて、 バナナの勇気の百分の一にも及ばないよ。         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No. 170311 銃とハッピーバースデー

 銃!と、教官が突き出した64式小銃を、僕は奪い取るかのようにつかみ取った。この銃が、僕のいのちを守り、敵兵を殺す。この銃を手にした瞬間、僕の存在は銃の部品の一個になる。銃が本体であり、僕は銃の引き金をひくための付属品でしかない。銃と一体化した僕はもはや人間でない。敵兵を殺すことだけを考えている機械である。機械にくるしみはない。

 大学を中途で放り出して、バッグ一つを提げて陸上自衛隊の営門をくぐったのは、僕が25歳のときだった。その当時、僕は、すべてにやぶれていた。信じるものが、なにもなかった。この世界のいっさいが、僕にとって無意味だった。愛も、友情も、信頼も、真実も、そういったものすべてが、嘘でしかなかった。嘘でつくられた世界では、ひととして生きていけぬ。と思った。くるしかった。ひとであることを捨てたかった。このきたならしい日常の世界を捨てたかった。僕は大学に退学届を出した。かつては学者になることを夢見ていた。愛する人とともに。 が、愛する人の去った孤独な部屋で、もはや何を研究する必要があろう。たとえ世界の真理を見つけ得たとしても、それがいったい、何の意味があろう。僕はチリ紙交換屋を呼んで、数百冊の本を一冊残らず引き取ってもらった。かわりにトイレットペーパーを2個もらった。段ボール箱数個分の講義ノートも、いずれは世に問いたいとひそかに書きためていた原稿類も、ぜんぶ、燃えるゴミとして捨てた。何もかも捨てた。夜、ゴミ捨て場に彼女との思い出の残る鍋や食器を捨てに行くと、ホームレスが群がって使えそうなものを漁った。好きにしてくれ。僕にはもう、意味のないものだから。がらんとした部屋に別れを告げて、夜の大学構内を歩いていると、偶然、ゼミの後輩の女子学生と会った。あ。〇〇さん(僕の名)!どうしたんですか。最近ゼミに来ないじゃないですか。と、彼女が言った。僕は、この子の名前は何だっけ、とぼんやり考えながら、ああ。おれ、大学、やめたんだよ。アパートも引き払った。と言った。彼女は、えっ!と驚き、それで、どうするんですか、と言う。べつにどうするあてもない。いまから友人のアパートに押しかけて夜を明かすつもりだ、と言うと、あたしのアパート、すぐちかくですよ。寄っていきます?と言う。寄れば、そのまま朝までいるだろう。結局、また、くるしみがはじまるだけだ。僕にはもう、そのくるしみに耐える力は残っていない。そう思って、彼女のアパートの前で別れた。彼女の名前は思い出せないままだった。それから数か月後。僕は、陸上自衛隊幹部候補生学校の営門の前に立っていた。

 入隊式がおわると、銃授与式が行われて、担当教官から幹部候補生ひとりひとりに64式小銃が授与される。授与されると言っても、教官は銃を簡単には渡してくれない。教官が、銃!と言って突き出した銃を教官の手からもぎ取り、奪い取らなければならない。そうして銃を奪い取ったその瞬間、その銃は僕の銃となり、同時に、僕はその銃の部品になるのだ。僕は、奪い取った銃の4kgの重みを両手に感じる一方で、孤独な部屋で背負いこんできたくるしみが霧のように消失していくのを感じた。

 来る日も来る日も、泥まみれの訓練が続いた。営内生活は文字どおり1分1秒を惜しむ慌ただしさだった。演習場から疲労困憊で帰隊した後も、掃除洗濯、戦闘戦技の間稽古、作戦戦術の自学研鑽といった具合で日課表は分単位のスケジュールでびっしりと埋まっており、そのすき間をぬうようにメシと風呂をすませる。消灯ラッパとともに一秒でも長く眠ろうとするが、眠った気がしないうちに起床ラッパでたたき起こされる。そしてまた、銃をかかえて泥にまみれながら地面を這いずり回る。日課表から解放される週末の午後、僕はしばしば、隊舎屋上の物干場に上がって、ぼんやりと空をながめた。風が気持ち良い。整然と並んで干されている無数の洗濯物がはたはたとはためく。青い空を白い雲が流れていく。視線をおとすと、休日だというのに駐屯地外柵をランニングする同期の姿が遠くに小さく見える。音もなく時が過ぎる。眠くなる。営内に戻って自分のベッドにごろりと横になり、そのまま昼寝する。ゆっくり寝ておこうと思う。明日からまた、厳しい訓練がはじまるから。

 冬。その日の訓練は格別、つらかった。厳寒の冷雨は、泥にまみれた僕たちを容赦なく打ちすえた。休憩時間となり、みんな寒さに震えながら、銃をかかえて3トン半トラックの荷台で雨やどりをしていた。冷雨がトラックの幌を打つ。みんな一言もなく、白い息を吐きながら黙っている。すると、雨の中、同期のひとりである女子隊員が、ひょっこりと荷台に顔を出して、「〇〇(僕の名)! 今日、〇〇の誕生日じゃん!」と僕に言った。誕生日? そうだ。そういえば、今日は僕の誕生日ではないか。僕は生まれてはじめて、自分の誕生日を忘れていた。それほど訓練の日々は、僕に自分というものを忘れさせてくれた。自分がなければ、くるしみもない。孤独というくるしみのない日々。生きて、戦って、殺すことにのみ全能力を尽くす日々。そして、青空を流れる白い雲を無心にながめることができる日々。「ハッピーバースデー!〇〇!」と言って、その女子隊員が笑った。銃をかかえた同期たちも笑った。僕も笑った。するとちょうど、休憩終わり! 下車! と教官の怒鳴り声が聞こえた。みんな、あたふたとトラックを降りた。冷雨はいよいよ強くなった。みんなの口から嘆き声がもれた。けれども僕は、雨が僕の誕生日をにぎやかに祝ってくれているような感じがして、おかしかった。そうして、どんどん降れ。もっと降れ。と思った。