バナナの選択
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                バナナは、生きるために、子孫繁栄の選択権さえも人類にゆだねたんだ。 一生懸命に生きるって?                 生きる、ということにおいて、僕たちの決意なんて、 バナナの勇気の百分の一にも及ばないよ。         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No. 170310 探し求めて。なお届かず

 ふるいつきあいの友人が待つ店に入ると、なじみの子がいらっしゃいと迎えた。友人は知らない客どもにはさまれてカウンターの隅で小さくなっていたが、僕の姿を見つけると、〇〇(僕の名)遅いぞ、こっち、こっち、と僕を呼んで急に生気を取り戻し、狭苦しいカウンターからボックスへと移った。見たことのない新顔の女の子がついて、水割りをつくってくれる。まずは乾杯、と言って、飲む。新顔が、水割りをつくる。また飲む。休みなく飲む。新顔がもたもたと水割りを作るのがいらだたしいほどに、がぶがぶ飲む。早く酔いたいのである。酔って、くるしさから解放されたい。新しく入れたボトルはたちまち減っていく。

 友人が新顔につまらない冗談を言ってからかう。有名女子大生の新顔は、S新聞社の報道記者の内定をもらっているという。その新聞記者のたまごが、友人相手に時事ニュースの解説などはじめている。いまいましい世界を忘れようとして無理してがぶがぶ酒を飲んでいるのに、いまいましい時事ニュースの話を聞かされてはたまらない。バカな子だと思いながら、僕はかまわず飲む。ようやく酔ってきて、いまいましい世界がぼやけはじめる。僕のたましいがくるしさから逃れる。と、見れば、新顔は得意顔で、友人相手にアメリカ大統領選の解説をしている。友人もさすがに閉口したらしく、ちょっと、と言って手洗いに逃げた。話し相手をなくして手持無沙汰になった新顔はしかたなく、今までがぶがぶ飲むばかりでろくに会話もしなかった僕に向かって、あたし社会部を希望してるの、犯罪とか興味あるし、などと言った。犯罪に?と僕が聞くと、そう。犯罪の真相を市民に伝えたいんだよね。ほら、犯罪を美化したり、文学のテーマにしたりするじゃん。あたし、あんなの許せないんだよね。美しい犯罪なんてないんだから。犯罪と芸術を結びつけちゃダメだよね。と言う。すでに酔っぱらっていた僕は思わず言い返していた。そんなことをしたら、芸術は死ぬじゃないか。およそこの世の芸術とよばれるものは、すべて犯罪と結びついてきたじゃないか。聖書もゲーテドストエフスキーも芥川も太宰も、ぜんぶ犯罪の物語じゃないか、と。けれども新聞記者のたまごは、こんな酔っ払いの言葉などまったく理解せずに、きょとんとしていた。実につまらない。バカなことを言ってしまった。だから、おれはダメなんだ。僕は、黙りこんで、また水割りを飲む。ちょうど友人が手洗いから戻ってきて、また新顔の相手をはじめた。僕は、この有名女子大の軽薄なプライド臭がぷんぷんする小ざかしいだけの小娘に、はやくどこかに行ってほしかった。僕は、その日、この旧来の友人に、話したいことがあったのだ。僕の部下にひとりの中途採用の若い女子社員がいた。その子としばらく仕事をするうちに、その潜在する能力のすばらしさに僕は気が付いた。決して有名大出身などではない。が、これまで僕が見てきた多くの部下の中で最も優秀であった。職場にめぐまれず何度か転職を繰り返したというのだが、いままでの職場の上司どもは彼女の突出した能力を誰も見抜けなかったのかと思うと、心底あきれた。そうしてそれと同時に、僕だけが彼女の能力に気が付いたことが心底うれしかった。やっと、探し求めていた人間にめぐりあえた思いであった。そういう話を、僕は旧友に話したかったのである。が、新顔は僕たちのボックスの担当になっていたらしく、なかなか席を立たずに愚にもつかない時事ニュースの解説を続けた。

 ボトルも底をついたころ、ようやく新顔が席を立った。すでに泥酔状態の僕は、ろれつも回らずに、旧友に部下の自慢をはじめた。すばらしい子なんだ。ほんものなんだ。あんな子は、見たことがない。おれが身につけた知識も技術も、ぜんぶ伝える。やっと、見つけたんだ。すごい子なんだ。と。そういう僕の自慢話をうんうんと黙って聞いていた旧友は、もはや朦朧としている僕の耳に、ゆっくりと刻むように言った。〇〇。おまえがうれしいのはわかる。が、あくまで仕事上の話だ。いくら優秀でも、その子は、おまえじゃない。おまえの仕事上の部下にすぎない。それを、忘れるなよ。おまえのくるしみを、その子に背負わせるな。と。

 むかし僕は、僕の愛する女性に、僕のくるしみをそのまま背負わせるという過ちを犯した。彼女を僕自身と同一視したために。そうして彼女は、そのくるしみに耐え切れず、かなしみ、傷ついて、僕のもとを去った。旧友は、それと同じ過ちを繰り返すなと言うのであった。わかってる。そんなことは、わかってる。と僕は言った。心配いらない。その子は優秀なんだ。優秀すぎるほど優秀なんだ。僕のひととしての欠陥を、ちゃんと見抜いて、知っているんだ。つい先日も、僕とその子とはちょっとしたケンカをして、その子から、はっきりと言われたばかりなのだ。私は〇〇さんの友人でも恋人でもない。私と〇〇さんとは赤の他人ですから、と。赤の他人に、僕のくるしみを背負わせることはない。だから、大丈夫だ。心配はいらない。そう言いながら、泥酔した僕は、すでに意識が遠くなっていた。店のざわめきも聞こえなくなった。いまいましい世界の騒音が消えていく。そうして僕の声もまた、世界の誰にも届くことなく消えていく。赤の他人にすぎないその子にもなお届くことなく。