バナナの選択
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                バナナは、生きるために、子孫繁栄の選択権さえも人類にゆだねたんだ。 一生懸命に生きるって?                 生きる、ということにおいて、僕たちの決意なんて、 バナナの勇気の百分の一にも及ばないよ。         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No.161030 千日間

 矢垣が、その女と暮らした日々は、ちょうど千日間だった。

 女は、なっちゃんと呼ばれていた。矢垣となっちゃんとは、大学のサークルで知り合った。矢垣が三年生、なっちゃんが一年生であった。やがてふたりは恋に落ち、矢垣のアパートで同棲するようになった。そうして、ままごとのような日々が過ぎた。

 少年期より貧困と暴力の下で育った矢垣は、幸福で平和な家庭というものを知らなかった。矢垣にとって家庭とは、嫌悪と憎悪の対象でしかなかった。親子の情も、家族の愛も、矢垣は微塵も信じてはいなかったし、欲してもいなかった。家族という生物的な血縁関係などは、理性的であるべき社会の発展にとって害悪であるとさえ思っていた。家族など、国家が、公共の利益の名のもとに解体すれば良い。子供は生まれるや否や、すべて国家が親から取り上げて、公共施設で教育すれば良い。そうすれば、親のせいで子供が苦しむことはなくなる。金持ちの親の下に生まれたら幸福で、貧乏人の子として生まれたら一生苦しむなどという、バカバカしい理不尽はなくなる。子供たちは、平等かつ公平に、自らの努力と能力のみで評価してもらえる。親など、いらぬ。家庭など、いらぬ。国家があれば良い。おれの親は、国家だ。この日本国こそが、我が愛する親だ。

 唾棄すべき家庭から逃れるために、矢垣は、住み込みの新聞配達をして学費をかせぎながら、大学へと進学した。あらゆる奨学金に応募して、いくつかの財団からの給付を獲得した。給料も奨学金も、一円も無駄に使わずにせっせと貯金した。そうして一年を経て、新聞配達の住み込み部屋から脱出し、学生アパートを借りた。自分だけのアパート。当面の学費も生活費もある。そして忌まわしき家庭との関係は途絶している。自由! 矢垣にとって、生まれて初めてと言って良い解放感であった。矢垣は、「普通」の大学生としての生活をしたかった。さっそく、サークルに入った。数人しかいない「法律研究クラブ」というサークルだった。「法研」と略した。法研の活動は、ニュースになった事件の裁判例などを部室で討論するだけのひどく地味なものであったが、矢垣にとっては、その活動の中身などはどうでもよく、「学生らしさ」を味わえれば、それで十分であった。大学の講義にも欠かさず出席した。国家とは何か。国家と個人の統合は可能なのか。矢垣は自らの国家論の構築に没頭した。法研のメンバーには左翼思想に傾斜した者が多かった。矢垣の国家至上主義的な主張は、地味な文化系サークルに過ぎなかった法研内部に議論を起こした。法研の部室では、部員同士が深夜まで議論が続けることも珍しいことではなくなった。矢垣は、部員たちの教条的な左翼思想などは軽蔑し切っていた。金に困ったこともなく何不自由なく育った中産階級の子弟どもが、労働者の権利を我が物顔で主張する姿には滑稽さしか感じなかった。が、そういういかにも「学生的な」雰囲気に自分が浸っていることに満足した。

 その翌春、廃部寸前の法研も新入生を募集しようということで、すこしばかり絵心のある矢垣がポスターを描いた。当時の人気漫画のキャラクターを模写しただけのふざけたポスターだったが、これがどういうわけか女子学生に好評で、法学部の女子学生が数人入部した。そのひとりが、なっちゃんだった。

 なっちゃんとのままごとのような同棲生活は、矢垣にはじめて、家庭というものの温かさを感じさせた。なっちゃんが戯れに言った「あなたの赤ちゃん生みたいな」という言葉に、矢垣は衝撃を受けた。石のように固く凍った心が溶けていくような心地よさに浸って恍惚となった。これが、幸福というものなのだろうか、と思った。だとすれば、なっちゃんは、おれに幸福を授けてくれた天使ではないか。ああ、そうとも。天使だ。我が半身だ。そうだ、むかし、おれが小さいころ、死んだバアちゃんが言ってたな、観音様は、どんな願いでも聞きつけて、人の姿となって現れるって。なっちゃんは、おれの願いを観じて示現した観音様か。観自在。南無観世音。などと、なっちゃんに感謝し、神仏に感謝し、家庭の幸福に陶酔した。

 矢垣は、大学の講義に行かなくなった。国家と自分との関係を追究することに、いっさい興味がなくなったのである。国家など、どうでもよくなった。法研にも顔を出さなくなった。毎日、ぼんやりと過ごした。朝、大学に出かけるなっちゃんを見送り、昼間は小説を読みちらし、夕方から近くの学習塾で講師のアルバイト、そうして夜はなっちゃんと食事をして眠る。そういう日々の繰り返しであった。が、矢垣は、幸福であった。同じことを繰り返すことの幸福。「これでいい。こうしてこのままで生きていきたい。」と願っていた。いや、願っていたのではない。そのような日々が永遠に続くと信じていたのだ。微塵も疑ってはいなかった。それまで幸福を知らなかった彼は、幸福が長く続くものではないということも知らなかった。破綻は、突然、やってきた。

 その夜、学習塾の講師のアルバイトを終えた矢垣は、ふと思い立ってケーキ屋に寄り、なっちゃんの好きなショートケーキをいくつか選んで店を出ると、近道のために大学構内を歩いていた。すると、後方から、けたたましいバイクの音が近づいてきて、矢垣を追い抜いて行った。バイクは男女の二人乗りで、後部に乗った女の後ろ姿は、夜目にも明らかに、なっちゃんであった。矢垣は、どう理解すれば良いのか分からない不安を覚えて困惑した。アパートに帰ると、なっちゃんがいた。なっちゃんは、いつもどおり、「おかえり」と笑った。矢垣は、「ケーキ買ってきた」と言って、ケーキの箱をテーブルに置いた。そうして、一呼吸おいて、「バイク、乗ってたね」と言った。「え?」となっちゃんが言った。矢垣は、「バイク、乗ってたね」ともう一度繰り返した。なっちゃんは、薄く笑って、「バイク? 乗ってないよ?」と言った。矢垣は、「そう」と答えた。なっちゃんが、にっこりと笑って、「ほら。ケーキ食べようよ」と言った。矢垣は、自分でも意外なほど大きな声で、「そんなもん、いらん!」と言った。

 なっちゃんが、矢垣のアパートを出たのは、その数日後であった。なっちゃんは、菩薩ではなかった。ひとりの人間の女であった。夢も欲もある生身の女であった。その日、なっちゃんは、矢垣に、別の男とつきあっていることを告げた。「もう、だめなのか」と矢垣が問うと、なっちゃんは、「ゆるしてもらえないことをしたから」と言った。それ以上、矢垣は、もう何も問うことができなかった。アパートを去る間際、なっちゃんは、矢垣に、「もっと戦ってほしかった」と言った。戦う? 矢垣にはその意味が分からなかった。矢垣は、つねに戦っていた。全力で戦っているつもりだった。忌まわしい家庭と、憎悪すべき家族と、いや、そういう自分の抗しがたい運命とつねに戦ってきた。戦う? これ以上、何と戦えというのか。立身出世に励めとでもいうのか。このままではいけなかったのか。君との永遠の幸福を信じたことがいけないというのか。君は、おれに、幸福と戦えというのか。幸福はおれにとって敵だというのか。おれは幸福になってはいけないのか!?

 なっちゃんとの千日間は、もはやいっさいの記憶の風景を失って、矢垣に、ただひとつの問を残しているだけである。「おれは幸福になってはいけないのかー」いまだ矢垣は、この問いに答えを見い出せないでいる。