バナナの選択
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                バナナは、生きるために、子孫繁栄の選択権さえも人類にゆだねたんだ。 一生懸命に生きるって?                 生きる、ということにおいて、僕たちの決意なんて、 バナナの勇気の百分の一にも及ばないよ。         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No.160902 ゼニ山と呼ばれた男の愛

 その男は、ゼニ山、と呼ばれていた。本名ではない。金に執着していたから、周りからそう呼ばれていた。決して、悪いやつではなかった。ほんの少数の心を許しあった友人だけが、やつの純粋さを知っていた。

 ゼニ山は、ぶおとこだった。背も低く、眼鏡の出っ歯で、ちっとも、これっぽっちも、女にもてたことがなかった。酒も飲まない。タバコも吸わない。パチンコも競馬も、いっさい、やらない。安月給を節約して、ボロアパートと会社とを往復するだけの日々を送りながら、せっせと、少しづつ、貯金をして、中年といわれる年齢になったときには、ようやく、郊外の小さな家なら買えるくらいの額にはなっていた。ゼニ山は、家を買おう、と決めた。どうせもう、結婚なんてしないのだから、貯金をはたいて、独身の後半生を快適に過ごせる家を買おう、ここまで真面目に生きてきた自分へのご褒美だ。ゼニ山は、そう思った。

 ところが、人生はまことに不可思議なもので、ゼニ山が都心まで二時間もかかる埼玉県の某町に小さいながらも新築の家を買った途端に、彼女ができた。それも、十歳以上も年下の美人で、ゼニ山の新居の近所にある弁当屋の店員の礼子ちゃん。ゼニ山が毎日毎日飽きもせずに一番安い「のり弁」(三百円)ばかりを注文するので、「のり弁、お好きなんですね」と話しかけたのが恋のきかっけ。その日以来、ゼニ山は、「のり弁」を「幕内弁当」(五百円)に替えた。ある日、例によって幕内弁当を頼むと、礼子ちゃんが映画の無料券を出した。「オペラ座の怪人」だった。ゼニ山が戸惑っていると、礼子ちゃんが、「すごく良い映画なんですって。券が二枚あるの。見に行きましょうよ!」と言った。 ゼニ山の人生初めてのデート。映画は何だか良くわからなかったが、礼子ちゃんは隣の席で泣いていた。帰りに二人でファミレスで食事をした。二人ともハンバーグを頼んだ。礼子ちゃんは、おいしい!と笑った。そうして、その夜、礼子ちゃんをゼニ山の新居に招いた。翌日から、礼子ちゃんは、ゼニ山の新居から弁当屋に通うようになった。

 礼子ちゃんとの新生活が始まった。ゼニ山は、幸福というものをはじめて感じた。一カ月ほどして、ゼニ山は思い切って、プロポーズした。礼子ちゃんは泣いた。そうして、あたしにはそんな資格がない、と言って、そのわけを話した。礼子ちゃんは、結婚に一度失敗していた。そうして、そのときの元夫が今でも付きまとって、金をせびったり嫌がらせをするのだという。ゼニ山は、そんなことは全然気にしないと言って、結婚指輪を礼子ちゃんに贈って、入籍した。

 ゼニ山は、働いた。もう若くないことはわかっている。けれども、体の内側から、生きる力が湧き上がってくるのだ。残業は自ら買って出た。人の仕事までやった。ぜんぜん苦ではなかった。新居に帰れば、礼子ちゃんがいる。ゼニ山は、礼子ちゃんのために生きよう、礼子ちゃんが笑ってくれるために生きようと誓った。

 ある夜、ゼニ山が新居の前まで帰って来ると、人相風体の怪しいひとりの男が、新居をのぞきこむようにしてうろついていた。ゼニ山は、こいつが、礼子ちゃんの元夫かと合点して、男に近づき、あんたが礼子の離婚したダンナか、いい加減にしないと警察を呼ぶぞ、と言った。すると、その男は、良く見ると人の好さそうな顔を不思議そうにしかめて、警察を呼びたいのはこっちの方ですよ、あんたもだまされてるのか、と言った。男の話では、礼子ちゃんは、男と入籍した直後に、男の財産の一切合財、総額五千万円を使い果たした。驚いた男は、礼子ちゃんとあわてて離婚して損害賠償を求めたが、今もって、一円も戻ってこないのだという。

 ゼニ山はショックだった。裏切られた、と思った。男と別れて新居のドアを開けると、礼子ちゃんが立っていた。そうして、「ごめんなさい」と言って、泣いた。ゼニ山は、礼子ちゃんの泣き顔を見て、はっとした。ああ、いけない、おれは、いま、このひとを不幸にしている。おれは、このひとが笑ってくれるために生きると誓ったはずだ。おれのどうでもいい人生を、このひとは幸福にしてくれた。おれは、裏切られたんじゃない。このひとは、何も裏切ってはいない。このひとの愛を、おれが疑ったのだ。裏切ったのは、おれの方だ。ゼニ山は、礼子ちゃんを抱きしめた。そうして、「心配するな」と言った。

 それから一か月後、礼子ちゃんは、ゼニ山のすべての貯金を使い果たした。何に使ったのか、皆目わからない。とにかく、数百万円はあったはずの通帳残高が、ある日、百円になっていた。ゼニ山は、それでも、礼子ちゃんを、いっさい責めなかった。二か月後、新居が、二千万円の抵当に入っていることが判明した。三か月後、礼子ちゃんが、ゼニ山の名義で、三十か所以上の消費者金融闇金から総額一千万円以上を借りていることが判明した。返済を迫る電話が鳴りっぱなしの状態となった。ゼニ山の会社にも闇金から取立の電話が頻繁にかかってくるようになった。会社に取立の暴力団員が乗り込んで来るに及んで、ゼニ山は解雇された。ゼニ山は、日雇いアルバイトをして何とか生活費をやりくりしたが、その間にも、礼子ちゃんは、どこで借りてくるのか、財布に一万円の札束を詰め込み、ブランド服をまとって、喜々として銀座に出かけるのであった。ゼニ山は、そういう礼子ちゃんを、いっさい、責めなかった。

 その朝も、「銀座に行ってくるわね!」と笑う礼子ちゃんに、ゼニ山は、「行ってらっしゃい!」と笑顔で声をかけた。しいん、と静まった新居のリビングで、ゼニ山は、ひとり、ぼんやりと座っていた。時計の音が、チクタク聞こえた。ゼニ山は、ふっと立ち上がると、玄関の隅に置いていたポリタンクをリビングに運んだ。ポリタンクのキャップを開けると、灯油の匂いが鼻をついた。ゼニ山は、ポリタンクを頭上にかかげると、全身に灯油を浴びた。そうして、「おれは、このために、生きてきた」と言うと、百円ライターで火をつけた。