バナナの選択
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                バナナは、生きるために、子孫繁栄の選択権さえも人類にゆだねたんだ。 一生懸命に生きるって?                 生きる、ということにおいて、僕たちの決意なんて、 バナナの勇気の百分の一にも及ばないよ。         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No.160514 天国のドアと蜘蛛の糸

 ああ、何て、つまらない人生だ、と思いながら今日もまた地下鉄に乗って家路につく。どうして、もっと金持ちの親のもとに、生まれなかったのだろう。そうすれば、人生はきっと、ずっとずっと楽しかっただろうに、とつくづく思う。まことに貧しい家庭であった。生きることに懸命の日々であった。掘っ立て小屋のようなボロ家の内で、ああ、今日も生きているね、ふしぎだね、と母子で弱々しく笑いあうような、そういう陰鬱な少年期であった。とにかく、金がなかった。母はひたすら働いていた。あんなに労働するひとを、僕はいまだ見たことがない。けれども、働いても働いても金がない。米櫃には米もない。明日食べる米がないという恐怖は、それを味わった者でないと決してわからない。

 貧乏自慢をするひとは、たいてい、明るい。明るく話さないとやりきれないからだ。真面目な顔をして、じめじめと貧困問題を語るテレビの中の評論家は、あれは、ほんものの貧しさというものを知らない。ほんものの貧しさの恐怖を知っている者は、おのれの貧しさの思い出を語るとき、つねに明るく冗談めかして話すのである。そういうふうに話すように自らを訓練したのだ。もし、深刻な顔で話そうとすれば、世界への恨み、憎しみに満ちた呪いの言葉が口からほとばしり出て、聞く人をして暗澹たる思いにさせるだけだろう。そんなつまらない話はない。

 そして、今日もまた相変わらず、僕は金の心配ばかりをしている。少年時代からいっこうに進歩がない。おとなになればきっと、金持ちになれるはず、と漠然と抱いていた希望は、ものの見事に打ち破られた。ずっと、貧乏。金がない。地下鉄から地上に出て、夜空を見上げて、ああ、きょうもまだ、生きている、ふしぎだ、と独り言をつぶやいている。きっと、これは、そういう運命なのだ。どんなに頑張っても、だめなのだ。どんなに勉強しようと、どんなに仕事に打ち込もうと、それはまあ、そこそこのところまではいくのだけれども、結局、だめ。だめなものは、だめ。遥かに高い岩壁の崖の上に、栄光のドアがあって、それをめざして崖をはいあがり、よじのぼり、やっと、そのドアの敷居に手がかかった!と思った瞬間、崖下に真っ逆さまに落ちて、首の骨を折る。そういう無駄な努力のくりかえし。それなら、はじめから崖なんて登らなきゃよかったんだ。ほら、あそこの美男美女の夫婦をみたまえ。そんな危険な崖上のドアなんかまるで眼中になく、崖下の小川のほとりに小さいけれど清々しいお家をたてて、日々の平和に感謝しつつ仲むつまじく暮らしているじゃないか。足るを知る。まさに人生のあるべき姿ではないか。なぜ、それが、できないのか。

 できないのである。無論、僕だって、崖など、登りたくないのです。なんですき好んで、首の骨を折って、何もかもご破算になるような、そんな馬鹿なことをするものか。が、それでも、崖を今もまた、登っている。落ちることはわかっている。どんなに頑張っても、だめなのだ。神が、そう決めた。神様は、僕の手の指先が、栄光のドアの端にようやくかかった、その瞬間を見はからって、その聖なるつまさきで僕の指先をちょいと踏むのだ。で、僕は、崖下に真っ逆さま。蜘蛛の糸。わが友、カンダタ。愛を知らぬ亡者は、天国には入れない。

 ああ、見よ。あの小川のほとりの夫婦の住まう愛に満ちた家のドアを。あのドアこそが、神に祝福された栄光の扉、天国への入り口なのではないのか。では、崖上のあのドアは、あれは、いったい、何なのだ。実は、あれこそ地獄への入り口ではないのか。が、それでもかまわないのだ。神が、そう決めたのだ。僕は、小川のほとりの愛の巣で幸福を享受する資格など、そもそも、持ってはいなかった。神は僕に、幸福になる資格をくれなかった。僕が何か悪事をはたらいたから資格を剥奪したというのではない。はじめから、くれなかったのだ。生まれながらの幸福の無資格者である。だから僕は、この崖を登り続けるしかないのだ。そうして、幾度となく無駄な努力をくりかえし、老いさらばえて、もはや崖をのぼる気力も尽き果てたその時には、次の人生の楽しい夢を見ながら、そうだ、お金持ちの親の元に生まれて、何不自由なく暮らして、お金の心配などしたこともない、そういう幸福な人生のシナリオでつくられた次の世界の夢におおいに期待しつつ、この苦役に満ちた世界に別れを告げればよい。その瞬間、すでに僕は別の世界の人生を歩んでいる。